2016年 11月 28日
気や念は写真に写るのか? / FUJIFILM X-T2
FUJIFILM X-T2 (製品サイト)
FUJINON XF 50-140mm F2.8 R LM OIS WR (製品サイト)
写真に精神論を持ち込むことは物事をややこしくするだけなので好まない。
写真というとても狭いキャンバスに光を記録する作業において、
そこに何を写すのか、どういう構図にするのか、どういう光を選ぶのか、どの瞬間をとらえるのか。
シャッター速度や絞りはその実現のための副次的パラメータとなる。
そこに気や念などというパラメータは存在していない。
では、気や念とはなんだろう?
存在するにしても空気と同様に無力透明なので写真に写ることはないという事か?
もちろん、それも異なるようだ。
では、具体的には、
構図なり、光なり、瞬間を選んで写すことに他ならないだろう。
もちろん、
映画の貞子のように写真に呪いをかけるというような超自然的なものは排除して考える(笑)
結局のところ、
気や念といったところで、それは撮りたいという心持を表したものであり、
撮り方などといった手法論ではなく、被写体そのものに対する知識なり、思いがあり、
結果として被写体の選択を行っているということだ。
当然ながら、そこにカメラ機材の違いなどが存在し得るだろうか? といえば、
答えは、否である。
むやみに気とか念という捉えどころのない摩訶不思議な単語に頼るのは、
その単語を使っている本人がわかっていない人にありがちだ。(実際、詐欺師がよくつかう)
簡単に言えば、カメラの操作に習熟していても、
気が付かない被写体を撮ることはできず、
写真を撮るための動機付けの部分にかかわるものであり、
カメラ趣味ではなく写真を撮るすべての人が、
大なり小なり持ち合わせているものであるという事になる。
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