2011年 07月 26日
馳星周氏の新刊 「 光 あ れ 」
インターネットが無ければ、
きっと知り合うこともなく、友人となる事も無かっただろう。
馳 星 周 という小説家。
彼の発表する作品は、常に人間の奥底の恐怖や不安をかき立て、
読み終えた後は無常観に苛まれる事もしばしばだ。
確かに、安心して読める脳天気なハッピーエンドな小説も良いだろう。
中身が無く読んだらバカになりそうな携帯小説もそれなりに良いだろう。
フィクションではあるが、綿密な取材をもとに構成する馳星周の作品は、
そんな低レベルの次元には存在しない。
そして、高尚な文学などというお高くとまった次元にも存在しない。
静かに、恐ろしく、おそらく皆が目をそらしている世界を垣間見せる世界観が貫かれる。
そして、このタイミングで、新刊が8月26日に発刊される。
3.11とは、無関係にこの本の構想・取材・執筆は行われてきたのだ。
私は、この小説を待望していた。本当に待っていた。
おそらく、この本を読んだ後、自分の心を試されるだろう。
そして、すべての人にこの本を読んで欲しいと思う。
『光あれ』
文藝春秋社刊 定価1470円(税込)
8月26日発売
【 以下、馳星周氏のブログより引用 】
犯罪は起こらない。犯罪者も出て来ない。人は死ぬが殺人ではない。事故死か病死だ。
3・11が起こる遙か前、原発の街で暮らす人間を描こうと思い立った。
福井県敦賀市、原発銀座と呼ばれる若狭湾周辺の小都市で生まれ育った男の10代前半から30代半ばまでを綴った連作集だ。
反原発の集会やデモをわたしはおぼろげに覚えている。あの頃は日本中のあちこちで幟がはためき、シュプレヒコールが響き渡っていた。
あの光景はいつ日本から消えたのか。
私見だが、バブルと団塊の世代がすべてを変えたのだ。団塊の世代の働き盛りの年代にバブルが起こり、日本人は変質した。
反戦、反原発の声は次第に薄れ、消えてなくなり、人々は何事もなかったかのように日常に舞い戻っていった。
原発の周辺で暮らす人々も、漠然とした不安をそのうちに抱えながら、しかし、その不安に気づかないふりをして生きてきた。いや、そうやって生きるしかなかったのだ。
未来はない。嘘に目をつぶりながら原発に頼って生きていくしかない。そうした人々を描きたかった。
3・11の大災害が来るなんぞ予想すらしていなかった。
3・11の後、人々がこの小説をどう受け止めるのかは知ったことではない。
大事なのは、わたしはわたしの仕事をした。それに尽きる。
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