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今日は写真無し

こっちには大した写真出してない・・・というか、テキトーな写真しか出してなかったりするので、出そうが出すまいが大きな問題とは言えない。

■写真芸術論

 ネットワークには虚実混合の情報が氾濫しているが、氾濫している割には情報の質という面においては極めて希薄である。写真が芸術かどうかという論争?も極めて低レベルな掲示板などで見かける事も在るが、総じてばかばかしい論議となっている。基本としている知識が欠落している人間が何人居ようとも何も生み出さないのは自明の理である。
 写真が芸術かどうかという論議は、そもそも荒っぽすぎるのである。写真とは所詮媒体でしかないのだ。富士山のキレイな風景もあり、飲み屋街のゴミ箱もあり、キレーなモデルさんもあり、そんなモノを同じ土俵で芸術かどうか論じている時点で愚の骨頂だ。
 写真は媒体である。そこを意識して論ずれば良いのに不毛な論議はこれからも自分たちがネットの主役であると勘違いしている連中は続けていくんだろう。頑張ってくれ。
 
■良い写真とは

 例え、アンセルアダムスの写真でも嫌いな人にとっては良い写真ではない。だから個人の嗜好によって評価も変化する。当然だ。しかし、ここにマジョリティとマイノリティの要因を持ち込めば話は変わる。評価は多数決なのだ。技術的に拙い写真であろうと、大多数の人間が「好きだ」と言えば、それは良い写真なのだ。写真家が如何に語ろうが、編集者が如何に考えようが、そんな事は屁の突っ張りにもならんのだ。
 同様に画質オタクとも言える連中が世の中には居る。写真ではなく、写真データでしか写真を評価しない連中だ。何が何やらわからなくなるような等倍でデータを見て、良い悪いを評価するのだ。写真展を見に行ってルーペで四隅をチェックしてるアホと同じだ。そういう人に私が助言するとすると、「写真なんか辞めなさい」やな。
 
■レタッチはどうなんだ

 写真のレタッチを頭から否定する人がいる。そういう人はかなりの確率でフィルム至上主義的だ。もしくは、デジタル一眼から出てきたデータ至上主義とも言うのか。写真はプリント最終形である。というのは広く知られている事実だが、だとするとレタッチ否定論者はことごとく玉砕する羽目になる。だって色も何もいじってはいけないのだから。まともにプリント出来るはずがないのだ。それに今となってはマイノリティなフィルムも同じ事が言える。フィルムの発色自体フィルム任せなのだ。そこの真実など在ろうはずもなく、写真は写偽?である。レタッチをおこなって自分が表現したい色、陰影にする方が遙かに写真である。撮影者の意図がそこに存在し得るからだ。
 
■だとしたら

 レタッチをおこなう方が、撮影者の意図を入れやすいのだから、より芸術的と言える。フィルムの偶然性に頼らないのだから。もちろん、フィルムの発色を完璧に把握してコントロールできる撮影者は別である。ただし、フィルムのクロス現像をもってアートだと主張する連中は大嫌いだ。最初にクロス現像を手段として用いた人以外は、芸術ではなくただの偶然性に頼るお遊びでしかない。
 
■というわけで

 この内容への反論、文句、絶賛、軽蔑はすべてご自分のブログなりtwitterなりで書いて下さい。
 

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by harq | 2011-02-22 16:16 | Diary

写真家ヤマグチハルク(山口晴久)の写真日記と時々作品。FUJIFILM公式 X-Photographer やっとります。

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